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Fw: 「スティーブ・ジョブズさんのスピリットは生き続ける」福田尚久さん

昨夜のことですが、OpenUM Projectの一環で、メンバーの皆さんによるアクセシビリティをテーマとした勉強会がありました。その場で僕がどういうプレゼンをしただとか、その後にどんな議論があったかについては、ここでは触れません(そもそも一般への公開を前提とした勉強会ではなかったと思うので、たぶん触れられない)。ただそこで思い出されたのが、見出しにある「スティーブ・ジョブズさんのスピリットは生き続ける」福田尚久さんというクローズアップ現代のブログ記事。

Steve Jobs氏が亡くなり、その後本人公認の自伝が出版されました(ちなみに僕はまだ買ってすらいない)。その間、Jobs氏と親交のあった人物による述懐の記事を多く目にしてきましたが、僕にとって最も印象に残っているのが、福田尚久氏による述懐でした。登場するエピソードのひとつひとつが興味深いばかりでなく、今の自分がなぜWebアクセシビリティに取り組んでいるのか、なぜ強くこだわっているのかの一端を、改めて認識させてくれた記事なのです。

彼がよく言っていた話として「みんな、人は死んだら自分の財産というのは全部国に還して、生まれたときに全部同じ金額をもらって、ゼロスタートでいい」って。人生の中で差がつくのはしょうがないと。これはもう頑張る人頑張らない人、能力ある人ない人、スキルある人ない人、いろいろいるからそれはしょうがないと。けれども、ほんとにフェアな社会っていうのは、ゼロスタートで最後死んだときはもうチャラになるという人生なのだと。そういうふうに世界全体をしていこうとしたときにいちばん大事なのは情報なのだと。情報を知っている人と知らない人がいるのがおかしいのだと。その知っている人と知らない人の差をなくすというのが、パーソナルコンピューターの元々の発想なのだと。

お金持ちの人、貧乏な人、幸せそうな人、不幸せそうな人、若くして亡くなってしまった人、驚異的なまでに長生きをしている人、世の中には本当にいろんな人がいて、でも漠然と「本質的にはみんな同じだよ」という根拠の無い確信が昔からあって。必ずや最終的にはバランスが取れるように、プラスとマイナスを行きつ戻りつしても最後には針がゼロに戻るように、世の中は(「宇宙は」と言ってもよいのかもしれない)できているはず、みたいな。そう信じでもしないとやりきれないような出来事が正直多すぎる、というのもあります。それが「フェア」と形容できるものかわからないけど、とにかくゼロスタートで最後死んだときはもうチャラになるという人生を誰もが送っているはずだし、送って欲しいし、自分も送りたいとは思っていて。

現実の社会が果たしてそういうフェアな状態か……はさておき、情報を知っている人と知らない人がいるのがおかしいのに近い感覚として、公開されている情報であれば、それを必要とする人なら誰でもいつでも入手できるべきだ、というのは強く感じていて。Jobs氏とは、取り組む対象に「パーソナルコンピューター」と「World Wide Web」の違いはあれど、目指していたところは案外近かったのかなと。つまり知っている人と知らない人の差をなくすのに似た動機から、自分はWebアクセシビリティを向上させようとしてきたのだ、という気づきを得ました。それがたとえ「今は」その価値が社会に認められにくく、かつまた金銭的価値への転化がいまひとつな状況であっても、取り組むことが自分のなかでは正しいと信じているからこそ、こだわりを持って踏ん張ってこれたのかな、とも。うーんうまく言語化できないな。

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