@kazuhito
Kazuhito Kidachi's Personal Web Site Since 2000

海を見る自由

ChromeのSBMカウンタでみる限り、Deliciousでのブックマーク数が122、はてなブックマーク数は2844、そしてTweetMemeなどでのブックマーク・言及数は28381に及ぶことから、既に読んだ方も少なくないと思います……立教新座高等学校の校長がお書きになった、卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)について。自分は高校の卒業式の日に校長が何を語り、それを受けてどう感じたかなんてまったく覚えていないのですけど、この校長の言葉は非常に「刺さる」というか、大学を卒業してもう何年も経ったいまだからこそ、凄くよくわかる気がします。特に以下のくだり:

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

自分の大学時代を思い返せば、4年間は本当に自由に海を見てきました。自分のなかで、大学とはそういう場との認識は無かったと思いますし、どちらかといえば大学云々より両親の理解と支援があってこそ初めて実現可能な時間(とお金)の使い方だったと思います。小学5年生になったとき以来、中学、高校、そして一年間の浪人時代を含む計9年間に渡り参加してきた受験戦争から「解放」されたことによって生じた「反動」という側面もあったかな。にしても自分の場合、頼み込んで大学卒業後に半年間アメリカに留学させてもらったという、親の臑をかじるにも程があると非難されて仕方ない選択をしたわけで、つまり都合4.5年のあいだ自由に立ち止まっては海をみてきた、と。

そうしてきたことの成果……は正直、よくわかりません。ただその4.5年のあいだ、立教新座高校の校長が示唆されたであろう生き方を無意識ながらも実践できたことは紛れも無く自分の人生にとって幸せなことであり、また当時そうした生き方を暗黙的にであっても認め、金銭面のみならずあらゆる面でサポートを惜しまなかった両親に対しては感謝してもし尽くせないということを、改めて思い知らされました。

現在地:ホーム > 覚え書き > 月別アーカイブ > 2011年3月 > 海を見る自由
Google カスタム検索を利用しています