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言葉はなぜ生まれたのか

だいぶ前に読み終わっていた本の覚え書き。岡ノ谷一夫氏の著作『言葉はなぜ生まれたのか』についてです。本書は、弾さんの書いた404 Blog Not Found:この夏親子で読みたい科学絵本 - 書評 - 言葉はなぜ生まれたのかがきっかけで知りました。もともとそのテーマには興味があって、自分の息子が言葉を話すようになるのは割と自然なことのように捉えていたけれど、じゃあ言葉そのものが何を動機なり理由として作られてきたか?は疑問に思っていたんですね。書店で本書を手に取ってみたところ、すぐと読み終えられそうな文章量だったので、衝動買い……最近ますます、まとまった読書の時間が取りにくいがゆえに、文章量の多寡が購入を判断するうえでの一因となってしまったのは微妙だなぁと思いますが、それはさておき。著者はまず、動物の鳴き声と人間の話す言葉の違いというか、言葉が言葉であることの条件として

を挙げます。そしてジュウシマツ、デグー、ハダカネズミ、ミュラーテナガザルという4種類の動物の鳴き声に関する研究成果を紹介しながら、上記の条件の一部を満たす鳴き声を発する動物はあっても、すべてを満たす動物はいない事実を明らかにしていきます。なかでも惜しいのはミュラーテナガザルで、発声学習はできないものの、他の条件については概ね満たしているという(状況に応じ歌を歌い分けることができる)。で、最後に残された謎として発声学習を可能にしたものとは何か、を説いています。

本書にある著者の論説には概ね納得できるのですが、しかし最後の発声学習の獲得部分の仮説については、同意できませんでした。人間の赤ん坊が、親を操る手段として呼吸の制御を身につけたとして、集団生活が外敵に襲われる危険性の低減させ、結果赤ん坊の泣き方にバリエーションがもたらされたというのが、しっくりこなかったのです。集団生活を営むようになる以前においても、赤ん坊からすれば親は御しやすいほうが何かと都合が良いはず。そしてまた親の立場からしても、外敵に襲われるリスクを少しでも下げようと、赤ん坊の泣き方をコントロールすべく、何かしら工夫をしていたのではないか?つまり、集団生活の開始と発声学習の獲得がどの程度相関しているのかってあたり、文脈的に弱く感じています。もっとも、これは僕の仮説に対する印象でしかありませんし、真相はさらなる研究の進展を待たなければ分かりませんが。ともあれ、全体的に面白い本でしたし、いずれ息子にも読んで欲しいと思っています。

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