挫折とか努力、あるいは成功について
著
wordholicの星海漂流記 : 今、自分が一番欲しかった言葉を見つけた。経由で、冬の散歩道 » 頑張れ、新留学生〜レンガを積むが如くを読みました。そこに記されていた言葉は、僕にとっても(一番ではないかもしれないけれど)欲しかった、いや必要とすべき言葉のように思いました。著者の緒野さんは現在、MITの航空宇宙工学科で博士課程を学ばれている、つまりとても優秀な方なのだけど、それは数々の自信喪失(一種の「挫折」)を味わい、しかし諦めることなく「レンガを積むが如く」地道な努力を重ねてこられたからこそ。それに比肩しうる挫折、あるいは努力を自分が経験してきたわけでもないけれど、過去を振り返ってみたとき、僕にも共感できる部分が少なからずあります。自分なりに成功できたと思うその少し前には、必ずといって良いほど挫折を感じさせられるイベントがありました。メジャーなものだけを思い出しても、
- 小学5年から通い始めた塾でイジメに遭っていたこと。
- そんな塾に嫌々ながら通ったあげくに中学入試で全敗したこと。
- 高校入試で挽回するも、入ってみれば周囲は自分より優秀な人ばかりで落ちこぼれたこと。
- 当然のごとく現役では大学に合格できず浪人したこと。
- 一浪して迎えた大学入試で(奇跡的に)挽回するも、またも秀才に取り囲まれ(そしてサークル活動に没頭し)落ちこぼれたこと。
- 留年しかけた(結果的には4年間で卒業したものの一時期は中退すら覚悟した)こと。
- 卒業した直後に渡米した先で笑えるぐらい英語が通じなかったこと。
- 英語力のままならぬまま参加した国際宇宙大学で、やはり講義や議論に追いつけず悔しい思いをしたこと。
- 社会人デビューした先の職場でうまく適応できず、直属の上司の方に反目していたこと(身の程知らずにも程がある……)。
- さんざん憧れて入ったにもかかわらず宇宙業界を去って、IT業界に入るも当然経験不足で苦しんだこと。
- 後輩の立ち上げたベンチャーに参加するも、迷惑をかけてばかりで貢献できなかったこと。
……などなど。人生という時間軸を俯瞰してみれば、実は挫折と成功はいい案配に交互で並ぶように誰かが設計してあるのかもしれない。けれど、より深い挫折を味わうほど、それをバネにより高くジャンプできて、結果より大きな成功(少なくとも「手応え」と呼べる何か)を感じて来れた気がします。挫折しさえすれば必ず成功するとは限らず、それを生かすも殺すも自分次第ではあるけれど、成功に必要とされる努力に転化し得るだけのエネルギーを蓄積するには、置かれた現状を客観的かつ真摯に認識するなかから、いかに挫折を感じ取ることができるかが大事なんじゃないか。目指す目標に対して相応の努力ができているか自信がない?そんな疑問を抱くより前に、もっと挫折を味わわなくては。なにも環境を変えなくたって、心のセンサーの感度を上げさえすれば、きっと味わえるハズ(無意識のうちにセンサーの感度を下げてしまっている可能性が十分にある)。そんなことを、つらつらと思ったのでした。wordholicさんといい緒野さんといい僕より全然若くて、そんなお二人にインスパイアされる年寄りの自分は情けなくて嫌気がさすけど、でも気付きをいただけて感謝してます。ありがとうございました。