地球が静止する日
著
そんなわけで、期せずして劇場で見ることになった、地球が静止する日。酔っぱらっていたうえに、深夜の上映時間帯だったため、実は途中気絶していたりもしますが、以下ネタばれを微妙に含む覚え書き。
前評判として、決して暗い終わり方をするような映画ではないらしい、という程度は知ったうえで見たのですけど、それは確かにそうだったのかなと。しかし、話の運びとしてそもそもキアヌ・リーブス演じるクラトゥが、いち家族との交流を通じて判断を変えるというのには、どうも納得できません。人類より遥かに高度な知性の代表性を真に有するならば、あの程度のことで地球の命運を変える判断をして良いとは、到底思えませんでした。
クラトゥが人間と同じ姿形をしている点は、カール・セーガンが著したSF小説の映画「コンタクト」を思い出すにつけ、興味深いなぁと思います。仮に高度な知性が実在し、かつ人類とコミュニケーションを図ろうとした場合、物理的なインターフェイスとして何を選ぶのか?という視点、なんですが(あくまでも物理的な形態を必要とする前提)。同じ姿形であれば、心理的な部分で人類が乗り越えるべき壁の高さを低くできるだろうけれども、乗り越えたあとでどのようなメッセージをやり取りするのか次第では、高度な知性の側は積極的に異形を採用しても良い気がするのです(一種の脅し文句を語るつもりなら尚更)。
……というのはさておき、映像表現的に面白いところはあったし、まぁ見れて良かったかなと。前売り券を買わずに見てしまった(=1800円払って見た)、という金銭的な部分についてはやや残念でしたけども、劇場に足を運ぶタイミングって難しいですからね。本当は、ちょうど良い時間帯の上映があれば、WALL・Eでを選んでいたハズですが(ぼそ