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「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いか

だいぶ前に読み終えていた本ではありますが、覚え書きし忘れていたので、谷原誠著『「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いか—弁護士が教える論理的な話し方の技術』について書いておきます。あらかじめ明確にしておくと、タイトルに惹かれて買ったわけでもなければ、タイトルにあるような問いを嫁さんから日常的に投げかけられているわけでもありませんから、念のため。

著者は現役の弁護士で、プロローグのなかで実は議論に弱かった過去について吐露されています。僕もまた、どちらかといえば議論が苦手なほうで、相手を論破してやろうなんてことを思う機会は滅多に無いし(無意識的かつ中途半端な我田引水は結構やっている気がしなくもないけど……)、人の意見を聞けばどの/誰の意見もすべてが正しいようについ思い込んでしまいがち。そんなわけで、論理的思考を強化するためのいち手段として読んでみたまでです。

本書のなかには議論をするうえでの実にさまざまなテクニックが扱われていますが、なかでも自分にとって懐かしかったのが、第2章第4項で扱われている「なぜなぜ攻撃」。子どもがよく親に向かって「なぜ?」と聞き返すのを「なぜなぜ攻撃」と称していて、そこで解説されているのは、常識的な事実はわざわざ立証する必要がない「公知の事実」という概念。なぜそこで僕が懐かしんだかというと、小学生の頃にその「なぜなぜ攻撃」でもって、同じクラスの男の子を泣かしてしまったことを、今なお記憶しているから。掃除の時間中に僕がふざけて遊んでいて、それに注意してきた子に反抗し、口論となったのです。そのなかで僕はまさにその「なぜなぜ攻撃」を加えてしまって……無論、非があるのは圧倒的に僕の側なのですけど、なぜ?という問いを繰り返すうちに相手を窮地に追いやり、的確に回答できなければ即敗北、という図式を作ってしまったわけ。確か担任の先生がほかの子に呼ばれて登場、仲裁してもらって最終的には僕が謝りましたが、相手には本当に酷いことをしてしまったという想いが強く、決して忘れることができません(皆が掃除をしていた体育館の風景と共に)。

そんな思い出話はさておき、どんなテクニックを使おうと/使われようと、日常的に強く意識しておきたいと思ったのは、第1章第6項にある議論はすべて、「よりよい結論」に至ることを目的としているとのくだり。至極ごもっともなポイントではありますが、それさえ忘れずに議論する限り、きっと互いに「よりよい未来」に到達することが期待できるだろう、と思いました。もっとも、「よりよい未来」を期待するという意味では、議論に限らずあらゆる類のコミュニケーションがそうあるべきと言えるかもしれません。

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