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友人の結婚とか、ブログを書くということについて

今日っていうか日付が変わってしまったので昨日?、としておくけれど、友人が自身のブログを介して結婚した旨の報告をしていました。友人、と敢えて書いてはみたものの、はっきり言ってコミュニケーションは(少なくとも日常的なレベルでは)無いし、そういう意味では果たして本当に「友人」と言えたものかどうかも怪しいくらい。ただ相手がどう思おうと、僕は少なくとも「知人」なんて言葉では定義したくないと思っているし、あえて言葉で表現するなら「友人」だと思っているから、そう書くわけだけど。とにかく本当におめでたいことで、ごくありきたりな「おめでとう」しかコメント欄には書かなかったものの、まぁ嬉しかったんだよね、彼女の結婚が。

それでふと思い起こしたのが、最近住さんの書いたブロガーは自分のキモさとどう向き合っているの?という記事。僕にはこの記事が住さん流の「釣り」に思えてしまって、いや真摯にブロガー達(誰)に問いかけているのなら僕は非常に失礼なことを書いているわけですが、なんていうかその、ブログを書く行為そのものは別にキモくも何ともないし、むしろ自然なこと、ときに(彼女の結婚報告がまさにその例だけれど)素敵なことだと思ったんですね。書かれた内容がキモいと受け取られる存在とか場合はあるかもしれないし、実際今書いているこの記事もキモい記事の一つに数えられるかもしれないけどw

もし彼女がブログを書かなければ、僕は彼女の結婚を知らないままだったろうし、「おめでとう」のコメントを残すこともなかったはず。これはWebあるいはインターネットそのものがもたらす恩恵、とも言えるでしょうが、Web上に自己表現をアウトプットするための敷居を劇的に下げた点で、ブログの果たした役割は決して小さくないハズ。彼女も、僕も、そして世のブロガー達(誰)も、ブログを書く動機が何であれ、人間である以上は承認欲求や自己顕示欲がその背景に少なからずあることを否定はできないと思うし(住さんはそれらを人間の根源的な欲求としていますが同意します)、積極的であれ消極的であれ、それらの存在を肯定しているからこそブログは書けるものだと思うのです。その前提においてブログを書くというプロセスは多くの場合、承認欲求や自己顕示欲を肯定済みであるがゆえに自分のキモさとどう向き合うかなんていちいち考える必要がないぐらい、自然な行いではないかなぁ、などと思いました。

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