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2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?

6月27日付けのエントリ、404 Blog Not Found:予約開始 - 2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?のなかで「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」について、弾さんがひろゆき氏と対談した内容が掲載されている件に関しおそらく私が今までやった対談の中では、一番リミッターが外れた対談と書いていたので、気になってAmazonのウィッシュリストには同書を登録していたのです。そして先日、書店で立ち読みしてみたら対談のボリュームがそこそこあってなるほど楽しめそうだったため、買ってしまいました……実際、それなりに楽しめたと思います。いまだに2chBathyScapheで利用してますし(基本的にROMですけど)。

対談のなかでちょっと考えさせられたのは、西和彦氏に言及したあたりかな。ひろゆき氏があがっちゃって、好々爺になっちゃったら面白くないじゃないですかと西氏を評していて、そこで「あがる」という行為の定義が気になったわけですけど、ひろゆき氏的には二点、

と定義している。そして弾さんからのひろゆきさんはあがった感はあるの?という問いに対しては明快に否定していました(経済的な面ではあがっているのかもしれないですけど、僕の中で経済的なことは重要度が低い、とも)。

僕自身はどちらかというと貧乏症っていうかまぁ単にケチ臭い人間で、たとえ一生涯自分と家族を養えるだけのお金が手に入ったとしても多分仕事は続けるだろうし、そういう意味では(先の定義に基づくなら)死ぬまで「あがらない(あがれない?)」自信があります。もっとも、仕事についてはそれが好きだからこそ続けたいって気持ちも経済的云々と同じくらいかそれ以上に強くあるのですけど、とにかく僕の人生にとっての「あがり」とは何なのか、「あがった感」を生きているうちに感じることは幸せなのか不幸せなのか?ってなことを考えさせられました。そうそう、人力飛行機についても、現役を退いてなお未練たらたらで毎年鳥人間コンテストに足を運んじゃったりしているのは、きっと「あがれてない」ことの証左なわけで(俗に「成仏していない」とも言う)、そちらの「あがり」の定義も必要だなぁ>自分

ちなみに「弾さん」と書いているのは、そろそろ弾って呼んで欲しいなあを読んだうえでのことで、また短い期間だったし日常的な接点は皆無だったにせよ、エッヂ時代にはお世話になった上司ということで、まぁなんとなくこう一方的に親しみを込めてみました。

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