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宇宙エレベーター

[ 2009-10-12追記 ] 以下の覚え書き(書評)は、著者であるアニリール・セルカン氏の経歴詐称疑惑が明るみになる前に記述したものです。疑惑の詳細については、アニリール・セルカン経歴詐称疑惑 - トップページアニリール・セルカン(Serkan ANILIR)氏の経歴詐称、業績捏造の追求blogをご覧ください。

アニリール・セルカン著「宇宙エレベーター」を読了。先月参加したイベント「情報のセレンディピティー 宇宙につながる「関係性(Web)」の未来」における著書即売会&サイン会の場でゲットできず残念な思いをしていたのが、たまたま土曜日に品川まで歯の治療で出向いた際にふらりと立ち寄ったあおい書店で在庫を見かけたので、購入した次第。イベントの場でも、本書が宇宙エレベーターに特化した内容ではないということが紹介されていましたが、その点はナルホド納得。仮に目次もレビューの類にも目をやらず、タイトルだけで(宇宙エレベーターの技術的/専門的な内容を期待して)買ってしまった人がいたとしたら、読んでいるうちに怒り出してしまったかもしれない。僕はもちろん、怒ったりなんてしませんでしたが。
本書で描かれている宇宙エレベーターとは、あくまでも著者であるセルカンさんと宇宙との間にある「つながり」のごく一部でしかなく、ある意味においてはその総体に対するメタファーとして使われているようにも感じられます。「宇宙の旅」「次元の旅」「時間の旅」「歴史の旅」「原子の旅」という5つの章ごとに、彼がこれまでに学び感じ取ってきた宇宙の姿が描かれているのです。その考察はときに哲学的で、特に第3章の末尾にある「タイムトラベルは、もう一人の自分と出会う旅」というエッセイは示唆に富んでいて面白かったですね。また第5章では、妙に彼に親近感を覚えたりもしました。自らの身体を構成している原子は、たとえ死んでも宇宙の存在そのものが消滅する日まで無くなりはしないという視点は、どうすれば死の恐怖から逃れられるかを考えているうちにたどり着いた、僕にとって一種のおまじないみたいなものなんですけど、「原子の旅は終わることがない」という節で、まさに同じようなことが彼の言葉で語られていたわけでして。
本書を読むと宇宙や時間、空間にしろ、既に知っていたつもりの言葉すら一瞬のうちに意味が不明瞭に感じられ、自分なりの再定義が要請されてしまうような、そんな感じです。彼は僕と同い年なんですが、比較にならないほど恐ろしく博学で、また操る言語の種類もずっと豊富であればこそ、可能な発想なり言葉が、本書には満載されているのだろうと思います。と同時に益々もって、僕はなんて素晴しい人と(たとえ時間は短くとも)お会いし、ツーショットまで撮ったのだろう!と思え、単純に嬉しくなりました。ちなみに、彼の地元トルコの子どもが「セルカンになりたい」と発言し涙したエピソードが紹介されています。読み終えたとき、僕のなかに同じ願いは湧かなかったけれど、一体どうすればセルカンさんの域に達し、そして超えていけるのだろう?とは疑問に思いました。
先に読んだ「タイムマシン」もそうだったけれど、文章量がそれほど多くないうえ、随所に漢字の読みがながふられているから、そもそもの対象年齢が不明だけれど、子供でも案外すらすらと読み進められるかもしれません。早く息子に読ませて感想を聞いてみたいな。

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