障害者の「障害」はもっと社会モデルとして認知・理解されるべき
著
聴覚障害者の方がお書きになった、「差別とアクセシビリティ」という記事を読みました。Twitterで紹介された回数とか、はてなブックマークにブクマされた数を見る限り、そこそこ読まれ注目を浴びているようです。
障害当事者の方が自らお書きになっている点もさることながら、日米で異なるアクセシビリティとか差別に対する捉え方、その相違が分かりやすく書き下されているという点で、参考になりました。同記事を読んだ視覚障害者の中根さん曰くアメリカは地域差はある気がするということで、さすが国土が広いだけに一概には言えないみたいですけど。印象的だったのが、以下のくだり:
アクセシビリティは障害者から障害を取り除いてくれます。そして、そのような社会はどんな障害者も希望を持って生きることができるのです。
これを読んで改めて思ったのは、障害者の「障害」が医学モデル、つまり身体的・精神的特性として障害当事者個人に属するものとの認識が日本では強すぎるのではないかということ。それだけでなしに社会モデル、つまり障害当事者と社会との界面に存在する「障害」という捉え方(そしてそれを除去することがアクセシビリティの確保という理解)をしていかないと、記事が浮き彫りにしたところの日米間の差異というのは埋められないのではないかと。
先だって国連の障害者権利委員会の委員に選出された静岡県立大学の石川准先生は、障害者差別解消法の概要とWebアクセシビリティという講演スライドの中で、障害者の定義につきdisability(障害)とは、impairment(機能的な障害)× 社会的障壁(社会で生活する上での困難)
とお書きになっています。そしてまた石川先生は、そこが聞きたい:障害者差別解消法施行 石川准氏 - 毎日新聞の中で、次のように述べています:
人間は荒々しいむき出しの環境の中で生きていくことはできず、環境を作り替えてきました。暑すぎたり、寒すぎたりする場合は冷房や暖房を使い、夜も行動できるように照明を整え、車が走れる道路を作る−−といった環境整備がそれに当たります。障害者への合理的配慮の提供も、環境と人との不適合状態を解決していくという意味では全く同じことなのです。
障害者差別解消法が施行されて3ヶ月。この法律が日本の社会に浸透しているとは言い難いように個人的に感じていますが、社会的障壁としての(社会モデルとしての認知に基づく)障害をなくすための取り組みは、まだ日本では始まったばかり。プロとしてWebデザインに携わる者として、またWebアクセシビリティの普及・啓発に携わる一人として益々、尽力に努めなければと思いました。