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命がけでWebを発展させるということ

数日前のことですが、俳優・伊勢谷友介が語る「働く」意義 「やがてなくなる命で何が出来るか」 | ログミー[o_O]という記事を読みました。僕は邦画やテレビドラマを滅多に見ないものだから、伊勢谷友介氏という俳優をまったく知らなかったのですが(すみません)、その対談記事に書かれていた内容にはすごく共感できるところがありました。多分、年齢的にそう離れていないことも影響しているのだと思うけれど、たとえば「働く」ということへの考え方への問いに対し

まず最初の捉え方として、『働く』っていうことは人生のなかで一番、大きなアクションになっていくと思うんですね、社会的に関わっていくと。

であるから、要は命を、一番どこの、何のために、使うか。そのために活動することだと思っているんですよね。だから、それが「働く=お金」の人が多いなかで、そういうふうな形じゃない目線で僕は見ているのかな、と思います。

と答えています。もう、全力で「うんうん」って首を縦に力強く振るしか無い感じです。生きてきたなかで自分の持ち時間を最も長く投入してきたのが他ならぬ「働く」ことである以上、その見返りが金銭的価値だけなんてことは受け入れ難いというかあり得ないというか、少なくとも自分はもっと別の目的、たとえば世の現状をいかに自分が描くところの「あるべき姿」に近づけるか、みたいな意識をもって働いてきたつもりだし、そういう活動全般がイコール「働く」ことなんじゃないかと思っていて。伊勢谷氏は僕より3つ年下ではありますが、だいたい人生の折り返し地点に差し掛かってるって意味では、死を迎えるまで残された時間に対して、自分と似た感覚を共有しているんじゃないかと想像。そして

僕はどういう風になりたいの、って考えたときに、もうすごい単純なんですけど、「色んな人に好かれたい」とか「仲間がいっぱい欲しい」みたいな、誰もが考える普通のことを思ったんです。そこから始まって考えていくときに、じゃあ、誰からも否定されない「目的」っていうのを持ちたいなと。

それって誰からも否定されない、全人類が「それは正しいよ」と言えることですよね。つまり人類が地球に生き残るためのこと。その行動をしている人になりたい、って考えたんです。

というのも、まぁ分かる話だなーと。宇宙開発の仕事を志したのって、人類文明の永続性を積極的に担保するみたいな仕事への憧れが根っこにあってのことだったと思うし(個人的に宇宙に行きたくて仕方が無いというのはそれはそれとして)、やれ食料危機だの地球資源の枯渇だのって盛んに言われながら育ってきたなかで、真に人類全体に資する類の仕事としての魅力を感じたのも一因にあると思っていて(宇宙への進出が人類の存続にとって有望な選択肢であるとの前提において)。そしてまた、宇宙業界からWeb業界に移った今もなお、何が正しいのかとか、正しさについては割と意識しているつもりでいます。

正しさはいつだって相対的だけれど、正しいWebデザインって何だろうってふと考えるのです。もちろん立場や見方によっていろいろな正しさがあるけれど、もろもろの「正しさ」の中心に常に普遍的に存在しているのがアクセシビリティだと信じていて(過去にもRe: レスポンシブWebデザイン談義【返信記事】で似た様なことは書きましたが)、そういう価値観を仕事なり勤務先を通じて表現してきたし、これからも訴求していくつもりでいて。それによってWebが発展し、社会がより豊かになって、最終的に人類存続の可能性を高めることに繋がればいいな......と。楽観的すぎるかもしれないにせよ、自分は自分なりに最大限「やがてなくなる命」を使ってそれに取り組んでいるつもりだし、そういう意味では間違いなく命がけでWebを発展させたいと思っているんですよね。ちょっと大げさ過ぎたかな。

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