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44

誕生日にさしたる意味など無い。時間の流れは連続的であって、その前後で何かが大きく変わる訳でもなし。昔に遡るほど、かつてはそれを自分を変えるためのきっかけとして利用しようという傾向があった気がするけど、歳のせいかもはやそんな気概も無い。むしろ、誕生日だろうがそれ以外の日だろうが、一昨日より昨日、昨日より今日と、少しずつでも自分を成長させられているか(少なくとも退化してしまっていないか)こそが重要であって云々。

......そんな風に考えるようになって久しく、365日中の364日と全く代わり映えのない日常を過ごすことにこそ意義を見出しており、他の誰かから「おめでとうございます」などと言われようものなら(対面であれメール等であれ)、それを素直に受け取ることなど到底できないくらい、捻くれた面倒臭い人間に、気がつけばなってしまっていましてね。これはこれで、長い時間をかけて自ら抱え込んだ一種の闇だなぁ、と思わなくも無いです。

時間に話を戻すと、来年に受験を控えた息子にかける言葉が、ことごとく自分に対するブーメランっていうか、息子に対してより自分自身に言い聞かせてるように感じることが多い、今日この頃です。時間こそ生きてる限り誰にも唯一公平に与えられるリソースなのであって、時間の使い方が全てを決めるだのなんだのと偉そうに言うけれど(親だからね一応)、大概自分ができていないことをアドバイスしている。まぁ中学受験に失敗した過去の経験(これも一生消えることのない闇)から良かれと思って言っているつもりだけれど、まんま今現在の自分に対しても有効。あまり成長できてない、ですな。

ちなみに覚え書きを見返すと、昨年は完全スルー。最後に言及したのは、その前の42か。例によって、病気、怪我、事故の類とはほぼ無縁に一年間をやり過ごせたのはありがたいこと。視力の衰えこそ気になるものの身体はすこぶる健康で(でなければ劔岳になんか登れやしない)、慢心しなければきっとこれからの一年も頑張っていけるだろう。体力と気力は表裏一体だからね。そして44歳を迎えた今年も、ニーバーの祈りを読み返すのです:

O God, give us the serenity to accept what cannot be changed,
The courage to change what can be changed,
and the wisdom to know the one from the other

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