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覚え書き

「運命の滑走」~日本初 人力飛行機に挑む ―成功へ 退路なき決断 プロジェクトX~挑戦者たち~

月が変わって「先月の」27日、日本で初めて人力飛行機が離陸に成功して50周年を迎えました。そのことに絡めて、昨日の全社朝礼の場でデザインにおける美しさとはどこから来るのか、みたいな話をしたのですけど、その事前準備の一環で?「運命の滑走」~日本初 人力飛行機に挑む ―成功へ 退路なき決断 プロジェクトX~挑戦者たち~を読みました。コミック版を既に持ってた気がしますが、Kindle版で108円と安かったし。

おかげで、人力飛行機講演会@航空科学博物館でメモした内容に誤記を発見したり(「リネット」と命名される前の名前を「MM63」と書いていたけど正しくは日大とマン・パワー・エアクラフトの頭文字に製作年を加えた「NM63」でした)、改めて木村秀政先生の偉大さというか、直接あれこれ学生に指示しなかったにもかかわらず絶大な存在感と指導力を発揮されていた様を感じ取れました。しかし、日本最高の航空機設計者と呼ばれながら敗戦の影響から東大を馘首されたのが、ちょうど今の僕の年齢くらいの頃だったとは......そして

その完璧なデザインが開発されたとき、人力飛行機の製作と飛行は、世界中で非常に人気のある趣味になるだろう、と木村教授は考えている

とのくだりを読んだときには、思わず現状を憂いざるを得なかったです。確かに、鳥人間コンテストが存続しているおかげで、日本は他に類を見ないほど人力飛行機の製作が活発ではあるけれど、スカイスポーツとして誰もが気軽に楽しめるほどの位置付けにはなっていない。宇宙開発の世界では、打ち上がったロケットの第一段が再び地上に帰ってきて着陸できるようになったけれど、人力飛行の世界でそれと同じくらいインパクトあるブレイクスルーが訪れていないのは、実に残念。なんとか死ぬまでにもう一回くらいは自力で飛んでみたいんだけどな、僕は。また意外だったのが、リネット製作メンバーの「その後」に触れたところで

パイロット役の岡宮。航空会社から誘われたが、外資系のコンピュータ会社に就職し、エンジニアとなった。

というところ。先般の人力飛行機講演会の場では、さすがに岡宮氏に「お仕事は何をされていたのですか」みたいなことを質問できなかったけれど、しかし気にはなっていたのですよね。15mの人力飛行とはいえ、日本初という快挙を成し遂げたお方ですから。

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