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40歳のためのこれから術

松浦弥太郎氏著『40歳のためのこれから術 幸せな人生をていねいに歩むために』について。著者は70歳が人生のピークとし、それを前提として40歳からの生き方を論じています。自分が何歳まで生き続けることのなるのか、当然ながら予測はつきませんけれど、これだけ医療が発達した昨今、自分が70歳ぐらいまで生き残る可能性は(良くも悪くも)十分あると思っています。かといって、本書の第四章のタイトルにあるように、それ(70歳の自分)を待ち遠しいとは自分はなかなか思えないのですが......そもそも、

今まで当たり前のようにできていたことが、同じようにはできなくなる。この事実に向き合うのは、確実に与えられた責任を果たすためでもあります。

という発想からすると益々、待ち遠しいとは思いにくい。たとえば、どれだけスポーツクラブに通い体力の低下に抗おうとも限度はあるわけで、やっぱりどことなく悲観的になってしまう。著者ぐらい達観できると、加齢の現実を十分理解しながらなお待ち遠しいと思えるものなのでしょうか。その論でいえば自分はまだまだだ未熟なのかなぁ、という感じです。ちなみに健康管理の重要性、特に歯のメンテナンスの大切さが第三章で語られてもいます。また、第五章の

わずかなことしかできないのであれば、ひとつかふたつでも人の役に立つことがしたい。人が求めてくれるのであれば、それに応えることに人生を捧げたい。なりたいものになろうとし、自分を喜ばせることで一生を終えるのは淋しいし、楽しくない生き方だと思います。

だとか

八方美人になるわけではないけれど、もう自分のこだわりは捨てるべきではないか。これからは、たくさんの人が喜ぶものを与えることを優先したほうがいい、と。

というくだりを読んでも、自分はまだ未熟なのだろうと感じました。もちろん自分も誰かの役に立ちたいけれど、それと同じかそれ以上に、自分の夢や願望、欲求をまだまだ強く感じざるを得なくって。諦めが悪いのか何なのか......できるだけ双方のベクトルを近づけて、矛盾なく(というか都合よく?)生きて行けたらと思いますし、そうする努力もしているつもりですけどね。「いただく」から「与える」に、舵を切りましょうと言われても、実践は程遠い気がしています。もっとも

仕事を通して人に与えることができれば最上の喜びです。自分という歯車を、社会という大きな機械に合わせない限り、仕事は成功しません。

というのは激しく同意で、組織のためというのも当然あるけれど、やはり社会のためというより大きな文脈があったなかで日々の仕事とは向き合っていきたいものです。加えて、こちらも現在はまだ実践が不十分だけれど、

三〇代までは、たくさんの時間でたくさんのことを、ハイペースでやるイメージ。四〇代からは限りある時間に本当に大切なことだけを、マイペースでやるイメージです。

というのもしっかり取り組んでいきたい。歳をとるほどに活動量が減り、必要な睡眠時間も短くなっていけば(朝起きるのが勝手に早くなれば?)、使える時間というのは増えていくんじゃないかっていう謎の期待もあるにはあるけれど。ともあれ、人は誰しもいつ死ぬかわからないわけで、人生の残り時間もあと何年、何日、何時間あるか分かったものではなく......本当に大切なことは何か、常に意識を向けるような日々を送れるようになりたいものです。

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