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覚え書き

Re: 鳥人間コンテスト

川島レイのレイランド Reiland鳥人間コンテストについて書かれていたのを見つけ、「おおっ」とか思いました。

「なんとか飛ばせてやりたい」という親心と熱意にあふれた先生たちがたずねてこられた。テレビ番組になっていなくても、衛星やロケットを飛ばしているように見えるNPOであるUNISECから、何かヒントを得られるのではないかと思われたらしい。

「先生たち」という記述が気になりますね。学生同士でなら、既に学生交流会といったかたちで横の連携ができているように思うけれど、教育機関なり教師というレイヤーについては同様の話を聞いたことがありません。ですから、「先生たち」と複数形の表記であっても、それは単一の学校から複数名が訪れたのかなぁと推測。より詳細かつ具体的に想像してみるなら、東京都立航空工業高等専門学校あたりではないかと。鳥コンに出場する学生チームの多くは大学のサークルであって、顧問のような立場の先生が主体的に支援に乗り出すというのは想像しにくいし(活動の主体はあくまでも学生自身によるべきだから)。とにかく、鳥コンへの参加をしっかり教育の一環として捉えている学校、ということになるでしょうか。かつ、文面から察するに、滑空機ではなく人力飛行機の製作に係っているのでしょうね。

「今」しかできないことは、確かに世の中にはある。
チャンスは、いつも、まわりにあって、それをチャンスと認識できるかどうかで、未来がかわってくる。
ピンチはチャンス。これを機会に、バラエティ番組としての「鳥人間」から、工学教育としての「鳥人間」を目指すのも悪くないのではないだろうか。

まったくもって同感です。昨年5月の時点で、今年の鳥人間戦線に異常アリにおいて誤解を恐れず書くならば、そろそろ日本の人力飛行機製作者は、鳥人間コンテストを卒業してよいタイミングなのかもと書きましたが、それはもう随分と昔から考えていたことで、教育やスポーツ、文化といった領域で人力飛行が根付き始めれば面白いのになぁと。とにかく、何らかの方向性においてバラエティ番組の枠を抜け出さない限り、今年のような休止の事態を迎えた途端、活動の持続可能性が極端に落ち込む羽目になるのは自明。あまり関係ないけど、今月7日にflyer-gardens SNSに「人力飛行機開発と宇宙開発の共通性」というタイトルで書いていた日記を、こちらにも転載しておきます:

いやタイトルにあるほどの高尚な内容でもありませんが。思うに、ポスト鳥コン時代の人力飛行機開発というのは、冷戦終結後の宇宙開発に似た部分もあるのかなと。それだけです(おい

競争なり開発を鼓舞する下地、お膳立てとしての外部要因が無くなってしまえば、それを継続するには自ずと内部要因を「再発見」せざるを得なくなるというか。

その内部要因として純粋に作ること、飛ばす/飛ぶことの楽しさを追求すること(=スカイスポーツとして人力飛行を成立させること)は果たして可能なのか?それは注がれるべきコストに見合うか?といった部分を掘りさげたいと思います。

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