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ジャーナリズムに対する評価の伝達先

テレビでニュース番組を見ていますと、この数日は尼崎で発生した痛ましい脱線事故の報道にかなりの時間が割かれています。それはそれで至極もっともな状況ではあるかもしれないのですが、報道する側のスタンスに対する何ともいえぬモヤモヤとした嫌悪感を抱いていたのですよ。でもって適宜覚書の「JR福知山線脱線事故報道に思うこと」を読んでみたら、そのモヤモヤの一部がとてもクリアに活字化されていたので、覚え書き。
dacさんのいい加減駄目なジャーナリズムに対しては妥当な評価を与えるべきだとのご意見、ごもっともだと思います。ただそれをいかなる手段、方法でもってどう表現すべきかというのは、今後検討していかなければいけない課題かなと個人的には思っています。テレビというメディア、あるいは今回の事件を巡る報道の一般的な受け取られ方を良くも知らずに書きますが、視聴者の立場としては番組制作側のみならず、それに資金を提供しているであろうスポンサーに対してもしっかり声を伝えるべきかもしれないのでは?と感じているのです。つまり、こんな酷い報道をしている番組でCMを流すことは御社のビジネスにとってネガティブですよ、とか。まぁ番組制作側と視聴者の乖離はこれまでも厳然としてあったけれど、報道という場面において両者の乖離を少しでも減らすべく行動しようと思うならば、番組の出資元にダイレクトに訴えかけたほうが効果的かもしれないと感じただけです。
たかがテレビ番組、見たくなければ見なきゃいいだろうし、それ(=少しでも視聴率を下げることに加担する)はそれで評価の表現手法かもしれません。しかしそれでは能動的な表現とはいえず、明確なる意思を持って視聴していないのかどうかが客観的に判別不能、そもそも見もしないで評価することが原理的に不可能なわけで。かつ、テレビ局に電話か何かでちょっとクレームを付けたところで、スタンスを変えさせることは難しいだろうし。なんとなく。

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